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よくあるQ&A

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q相続・遺産トラブル(大阪府在住20代女性)

お金のありかがわからない!

葬儀のお金、用意してるって言ってたはずなのに……

同居していた父方の祖父が亡くなった時の、葬儀と相続トラブルの話です。
祖母に先立たれてから二十年。退職して後もよく庭掃除をしたり、孫の面倒を見たりして暮らしていた祖父でしたが、八十歳手前になった頃から体調が悪化。風邪かと思っていた症状が実は誤嚥性肺炎になっており、そのまま帰らぬ人となりました。
一度は病院で回復の兆しを見せたのですが、深夜に急に体調が悪化し、家族が連絡を受けて病院に行った時にはすでに亡くなっているという急展開でした。予想外の事に父母の心労は大きかったようです。
体調を悪くした頃から、祖父は常に自分の葬儀について家族に話をしていました。「自分の葬儀費用は自分で出す。ちゃんとその貯えはある」と豪語していたのです。いずれ葬儀費用をもらって使った残りが相続されるのだろう、と皆思っていました。
ところが、急な病状悪化からの逝去だったため、肝心の葬儀費用のありかを家族の誰一人として聞けていなかったのです。祖父がどの銀行に口座を持っていて、どこにいくら入っているのか。どの口座のお金が葬儀費用で、相続に回す財産はどのくらいあるのか。祖父を失った悲しさよりも、目の前に大きな問題が出現したことで家族に焦りが出てきました。葬儀費用のありかを突き止めねば、軽く百万を越えるお金を数日のうちに捻出しなくてはならなくなるからです。
時間は待ってくれません。すぐさま通夜の日程を出し、葬儀屋に依頼。祖父と懇意な間柄の方々や親族への連絡に追われます。その合間に祖父の机周りや本棚の中身をひっくり返してみるものの、相続や葬儀に関して記されたものは何も出てきません。
すると翌日、訃報を聞きつけた地方銀行の社員さんが挨拶に来てくれました。祖父は彼が勧めてくれた保険に加入しており、親交があった方です。今葬儀費用を探しているところなんですと話の流れで告げると、銀行員さんが言いました。
「あー、確かにおじいさん、葬儀費用は自分で出すっておっしゃっていましたもんね。僕も何度か伺ってました」
えっ? 祖父は彼にもその話をしていた?
「はい、伺っていました。だから多分、お金は当行の口座に入金されているんじゃないかなと思うんですが」
銀行員とお金の話をするのは何も不自然なことではありませんが、明確に葬儀費用をこの口座から捻出するという書類を彼が持っているわけではありません。何より、口座名義人本人が故人となった状況で、口約束を頼りに家族が勝手にそのお金を引き出していいのでしょうか。私達の質問に対し、銀行員さんは難しい顔をしながら答えてくれました。
「そうですよね。本来はご本人様が亡くなったと聞いた時点で、口座を凍結して相続に回すのが僕達の仕事なんですが……分かりました」
意を決したように頷き、銀行員さんは私達にこう言いました。
「いいですか。明日の午前中、もう一度改めてこちらにお伺いいたします。その時までに、何としてでもおじいさんの通帳と印鑑を探し当ててください。それさえ見つかれば、僕がなんとか、所定の金額を葬儀代として口座からお渡ししますので! 本当はこういうのだめなんですけどね、おじいさんから直接お話を伺ってた者として責任を取るということで! それでは、よろしくお願いいたします!」
本来はならぬ事である故人口座からの費用捻出を、銀行員さんは自らの責において実行してくれると申し出てくれたのです。顧客から話を聞かされていたから、という理由でもってです。

これは祖父の築いた信頼というべきでしょうか。予想外の、しかし頼れる協力者・銀行員さんのおかげで、葬儀代がなんとかなるかもという希望が見えてきました。我々を信じて翌日までの猶予をくれた彼のため、そして葬儀代と相続財産をどうにかするため、家族総出の大捜索が始まったのです。
机周りの書類関係ゾーンだけでなく、祖父が触っていそうな場所のものをとにかくひっくり返します。机の引き出しから印鑑が見つかりました。下着、衣類、趣味で集めていた小物などお構いなしに、大人四人がかりの大仕事です。さほど広くないと思っていた八畳間ですが、押し入れから布団やキャスターまで全て出したため、あっという間に足の踏み場もなくなりました。
「あった—!!」
二時間以上が経った頃、それはやっと姿を現しました。押し入れの奥にしまわれていた厚手のコートの間に、通帳が三種類ほど袋に入れて挟み込まれていたのを私が見つけたのです。
「ええっ、凄い! おじいちゃん九百万円も貯金してたの!?」
地方銀行の通帳の中身を見てびっくり。葬儀をするには十分すぎる金額が入っていたのです。葬儀に必要な分と四十九日分、参列者さんへのお返しに使う費用を差し引いても、残りを安心して相続に回すことができます。
通帳が見つかった旨を銀行員さんに連絡し、私達は休む暇なく喪服の用意や肝心の葬儀関連の進行にかかりました。翌日、葬儀費用は無事現金で用意され、財布を痛めることなく立派なお葬式をあげることができたのでした。
なお、実際には他行口座にも預金があり、トータルで貯めていた金額は軽く一千万円を越えていました。それらの現金と家財や土地、わずかですが借地の収入などが最終的に相続対象になりました。
本来は人が亡くなった時点で資産は相続対象となり、分配の手続きがスムーズに進んでも、家族が相続できるまでには二カ月以上を要するそうです。その間に葬儀や四十九日等での出費が必要になる場合がほとんどでしょう。祖父がお金のプロである銀行員さんに常々お金の使い方を伝えていなければ、こんなにも上手くいかなかったはず。もし祖父の話が適当に聞き流されていたら、と考えると恐ろしいです。
実は、生前の祖父は父と土地管理について揉めており、言い争う声を時折聞いていました。祖父も自分が存命のうちは、財産管理の考えが折り合わない父にもろもろを相続させたくなかったのでしょう。その結果、祖父が急逝して多岐に渡る相続処理の手間がいきなり家族にのしかかる事になってしまいました。
万一父や母が事故に遭うなどして財産についての情報が途絶えてしまったら、孫の私やきょうだいだけでは葬儀を行うのが手一杯で、とても管理や手続きは出来なかったと思います。事業をしている人なら、もっと多くの手続きが必要になるのでしょう。我が家も曾祖父の代まで商売をしていたと聞いたことがありますが、その手続きまでしなくてはいけないとしたら、煩雑すぎて相続されるお金がもらえるまでに年単位の時間がかかってしまうでしょう。
祖父には兄弟もいましたが、遠方にお住まいの方も含め、どなたがどこにご存命かも孫世代には把握できていません。段取りを間違うと、そこの相続分でも揉め事になるのは必至です。改めて祖父の話を覚えてくれていた銀行員さんに感謝すると共に、大人になったら日頃から家の財産について、相続も見据えて情報を共有しておくのが大事だと痛感しました。
人の命に関わる内容のため、存命のうちに相続にまつわる話をするのはどことなくタブー視されている空気もあります。ですが、残される家族が困らないようにするために法律があり、生前相続などの手段も選べるのです。
ご家族に相続したい財産があったり、相続する人数の関係でトラブルが起こるかもという方は、是非早めに税理士や司法書士に相談してみる事をおすすめします。自治体による無料の相続相談があるなら、そちらを利用するのも良いでしょう。

 

恩義のありかはどちらに?遺産相続で揉めに揉める

 

しつこく財産の相続権利を主張する伯母に、伯父達は困惑。

私の母方の祖父が亡くなった際の相続争いの話です。
祖父が亡くなり、しめやかに葬儀が行われました。残された遺産は土地や現金など合わせ、二千万円分ほどあったそうです。
母には姉(伯母)と兄(伯父)がおり、長男の伯父が家を継いで祖父と一緒に暮らしていました。伯父夫妻は祖父と同居しながら、晩年認知症を患った祖父の介護も献身的に行っていたそうです。介護から解放され、遺産はきちんときょうだいで分けて役立てようとしていた伯父でしたが、いざ相続の手続きになった時にトラブルが発生します。
伯母は三十歳前に四国へ嫁いでおり、年に一度か二度伯父や祖父のいた実家に顔を出すくらいで、祖父の介護は伯父に任せきりでした。それなのに、相続できる財産の話が出たとたん、伯父と母にこう言ってきたのです。
「長女である私の取り分が三分の一では少ないのではないか。むしろそちらは長年親と同居していて、子供に何か買ってもらったりした事だって一度や二度じゃないだろう。私の相続する分を増やすべき。あんたたち(伯父と母)が小さい時に、色々と面倒を見てあげたのは姉の私なんだから」
子どもの頃の世話をした手間まで話に出して、相続の増額を主張してきた伯母に伯父はびっくり。姉弟の生まれ順に関わらず親の財産は子供の数で等分される事や、祖父と祖母がきょうだい三人の子供(孫達)の成長の折にほぼ同じ額のプレゼントや出資をしていた事を伝えますが、伯母は引き下がりません。
「そんな事言って、私の知らないうちに車買ってもらったりとかしてるんじゃないの? なによりあんたは実家を継いでるんだから、家の価格分よけいに私より財産をもらってるはずでしょ」
確かに実家を相続してはいますが、祖父の介護のために室内に手すりをつけたり、和式トイレを洋式に作り替えるなどの出費もしています。夫婦で手をかけて祖父のケアにあたってきた事も伝えますが、伯母はその事にまた不平等だと返してきました。
「ほら、そうやって家のことやった分、見返りだってもらってたんでしょ! 両親の世話って言うなら、私だって結婚して家を出るまでは仕事しながら家事や掃除、いっぱい手伝ったわよ。その分を財産分与に加味してもらえないんじゃ、納得できないからね」
伯母はそういって譲らず、結婚前に私はこれをやった、あれをやったと正当性を主張してきます。あまりにその剣幕が激しいため、伯父は頭を冷やしてもらおうと電話を切り、伯母がそういってきた事を母に伝えてきました。
しかし、どうすれば伯母に納得してもらえるかと考えるその間にも。数日に一回のペースで姉が伯父に電話をよこすようになりました。
「勝手に相続の話を進めるんじゃないわよ。今持ってる土地も処分したりしないでよね。うちの孫がいずれそちらの大学に行くんだから、私が土地を相続して利用する権利はこっちにもあるのよ」
などと、もらえるものは全てよこせと言わんばかりです。
祖父は個人的に菜園を作って楽しんでいる土地と、倉庫として貸し出してわずかながら収益を得ている土地を持っていました。倉庫を借りている会社から、それなりの価格で土地ごと買いあげたいと相談があったのですが、伯母が何かにつけて文句を言っている状態ではとても倉庫の売却はできそうにありません。
しかも、伯母の孫が実家近くの大学を受験するなどという話はこれまで誰も聞いたことがありませんでした。ひょっとしたら土地を相続したいがために、孫にわざわざ受験をさせることにしたのかもしれません。

「父がいなくなって菜園に手間をかけられなくなったのだから、思い切って手放してしまおうと思っていたのに。そこまでするかね?」と、伯父と母は困り果ててしまいました。
家族が住んでいる実家も、建ててからそれなりの年数を経た木造でした。耐震審査をしてもらったところ大きな地震がきたら確実に壊れる、と言われるくらいに老朽化が進んでいたのです。
この家では家族を守ることができない。いつか機会を見て家を一度取り壊し、地震に強くてコンパクトな住みやすい家にしたい。伯父は認知症がひどくなる前の祖父にそう伝え、孫の将来のためなら、と祖父も了承してくれていたそうです。
しかしその家の建て直しの話も、伯母に伝えたら「私の相続できるお金や土地が減るじゃない!」と怒るに決まっています。もっと早くに伝えておけばよかったと伯父も後悔しきり。
祖父が亡くなったのが東日本大震災の一年ほど後だったので、少しでも早く丈夫な家に建て替えて安心したかっただろう伯父の気持ちが伺えました。
最終的に伯母は私の家にも訪れ、相続の取り分を増やすよう伯父に頼んで、と母に言ってきました。もうこれ以上揉めるなら、弁護士に依頼するのもやむなしか……と母は思っていたそうです。
ところが、それからしばらくして、伯母からの土地よこせコールがなくなったと伯父から連絡がありました。伯母の孫が進路を決める時期になり、行きたかった大学に対して偏差値が足らず、志望校を変えないと受からないと判明したらしいのです。
受験校を変えるのならば、孫はこちらに住まないのだから土地を残しておく必要もない。その事を引き合いに出し、伯父は伯母と土地の処遇について改めて話し合いました。
ただ、孫の成績について追及するとその子を傷つけることにもなってしまいます。その点はやんわりと触れる程度にとどめ、土地を処分する代わりの伯母の相続分に気持ち色を付ける条件で、伯母を納得させることに伯父は成功しました。祖父の残した不用品の処分代も叔父側で出す、乗らなくなった車の名義を変えて伯母に譲るなど、伯母にとって得になるオプションを色々つけたようです。
こうしてなんとか理想の形で財産分与が終わり、祖父の残した様々な物品は伯父と母が仕分けをして売却・処分しました。古い実家は蔵ごと取り壊され、余分な土地を分譲して家と車庫を建てる面積分だけを最終的に相続し、バリアフリーの新築に生まれ変わったのです。家を建て直した後、伯父の家のある地域に何度か強い台風や雨風があったため、建て替えが間に合ってよかったと心から思いました。なお、伯母の孫も無事受験に合格し、都心の大学に通っています。相続のいざこざでその子の人生に悪影響が出なかったのも幸いでした。
祖父がまだ健在のうちに、実家の建て替えをしたり土地を処分したりして残す財産を上手にまとめておけば、伯母もここまでうるさくは言わなかったのでしょうか。私が幼い頃に母を尋ねてきていた伯母は、おっとりとした優しいおばさんの印象だったのです。遺産の問題絡みで伯母がこんなに相続に強い執着を見せるとは、想像もしていませんでした。人間とは分からないものです。もしこの件で母達きょうだいの縁が切れてしまうような状況になっていたら、祖父も浮かばれないだろうにと血縁者として感じました。
祖父も最初の子供である伯母にやや目をかけていた部分があった、と後に伯父から聞きました。もし祖父が認知症になっていなければ、伯母が望んだように、可愛がっていた伯母に少し多めに遺産相続をさせるような遺言状を一筆したためておくことも出来たのかもしれません。
土地が売られ、実家の建て替えに母も相続分から出資したので、私が相続される財産は目減りしたことになります。ですが、日頃から家族の財産について互いに理解しておくことが、相続のトラブル回避には大事だと学べた出来事でした。

 

 

 

もらったものはゴミの山!?お金になるもの以上に、処分に困る品ばかりが……

私の父方のいとこと、その父である叔父の遺産相続についての話です。
七十五手前まで元気だった叔父でしたが、ある時を境に急に元気がなくなり、家で寝て過ごすようになりました。しかし体力が回復する兆しはなく、食が細ってついに病院へ搬送。検査の結果ガンが見つかりましたが、手術に耐えうる体力がなく、入院してしばらく後に帰らぬ人となったのです。
叔父の葬儀が終わって数日後の日曜日、私はいとこの家に招かれました。故人の看取りや入院時のあれこれで手が回らなかったのでしょう、家の中には色々なものが散らばっています。するといとこが私を倉庫に連れて行き、扉を開けて言ったのです。
「親父が残したものが結構あるんだけどさ。何か欲しいものある? うちらはもう全部処分しようと思ってるから、気に入ったのあったら持っていっていいよ」
倉庫内に置かれたラックには、箱や物がびっしり。ぱっと見で見つけたバスタオルとコップをもらいましたが、それ以外の壺や錆びかけのゴルフ道具などで、欲しいと思えるものはありません。
「これ全部叔父さんの?」
「そう。昔っから片付けろって何回も言ってたのに、全然やらなくてさ。結局本人死んじゃったでしょ。大したものもないから、業者に頼んで全部処分しようかと思ってる」
叔父がDIYで作ったテーブルや、陶芸に使うろくろなどを見ながらいとこが言いました。いつか仕事が手を離れたら再び楽しむつもりだったのかもしれませんが、主を亡くした道具は処分されるのみです。
この他にも、古くてぶ厚いブラウン管式のテレビ、いとこ達が子供の頃から使ってきた机など、いとこと母親だけでは片付けきれないだろう品が山とあります。処分には結構なお金がかかりそうです。そのくせ叔父は宵越しの金を持たない主義で、叔父の葬儀もいとこ達のお金でどうにかしたほどでした。
テレビや不燃物程度なら、まとめてくれればうちの車で運ぶからと協力を申し出、いとこの家を後にしました。
するとその数日後、いとこから電話がかかってきました。
「かっちゃんさ、〇〇地区のプレハブの話って聞いたことある?」
「プレハブ? いや、知らないね。どうしたの」
「二番目の伯父さんに聞いたんだけどさ。あそこに、親父が集めてた者が色々あるっぽくて。うちの倉庫に入らないものをプレハブ借りて入れてたっぽいんだ。お金になるようなものがあるかどうか見にいこうと思うんだけど」
私が車を出していとこを乗せ、車で一時間ほどの中心街から離れた田畑の多い地区に行くと、指定された場所で二番目の伯父が待っていました。
「よー来たで。あそこんとこがそうなんだけど、見ての通りなんだわ」
倉庫代わりのプレハブ、と言うからには何か使えそうなものや、換金できそうなものがあるのではないか。そう考えていた我々の考えは、もろくも打ち砕かれる事になります。
生い茂った草の中に、かろうじて見えるプレハブの屋根。その周辺には車のバンパー、番線、冷蔵庫、何かの部品、ネジ、トタン板、などなど、数えきれないほどの物品が散乱しています。殆どが金属で、鉄クズと言える部類のものです。
伯父は生前、板金加工を生業としていました。手先の器用さから色々なものを修理したり、電気系統の技術も持っていたようです。
おそらく目の前にあるこれは、叔父がそうした仕事の中で「いつか加工するなり売るなりして使えるのではないか」と判断して集めてきたものなのでしょう。しかしあまりに量が多すぎて、何か価値のあるものを探せるレベルではありません。
「えぇ……、何これ。親父ひとりで、こんなに集めてたの」
二番目の伯父いわく、仕事の際にいらない鉄クズ系があると、喜んでもらっては自分の土地であるこの場所に運んでいたのだそうです。戦後すぐに生まれた叔父の、わずかな物でももったいなくて捨てられない性分の集大成でした。
兄弟にはこの場所の事は話していたものの、営業職に就き板金の話が全く分からない息子には何も伝えていなかった様子。そしてこの土地と鉄クズの存在を知った以上、これらがいとこの相続するべき財産になってしまいます。中身は財どころかガラクタなのですが。
あまりにも物が多く売れそうな物を探すことすらできないので、現場の写真を撮っていとこは帰宅。母親に写真を見せると、倉庫があるとは聞いたことがあるけども、こんな状況だとは知らなかったとのこと。
残った親族を介して、叔父の鉄クズの処分にどれくらいかかるかを見積もろうとしましたが、おそらく五十万円などではきかないだろうという話に。いとこと母親は叔父の財産を使って引っ越しを検討し始めていたのですが、とてもそれどころではない状況になってしまいました。
最終的な話し合いの結果、いとこは遠方に住む妹にも同意を取った上で『相続放棄』を決めました。処分しきれない物品に埋もれた土地と、叔父のひと桁万円の口座のお金も放棄し、その代わりに山のような鉄クズを片付ける義務から逃れたのです。

放棄された土地が誰のものになるのか、までは聞けていません。しかし小屋周りの片付けは、叔父の兄弟達が出来る範囲で少しずつ手分けして進めてくれることになったそうです。
「あれだけのもんを残された奥さん達に押し付けるのは気が引ける。血のつながったもんでどうにかすべきだわ」と叔父の兄弟達が言ってくれたのが幸いだったと、後にいとこが言っていました。
いとこは引っ越しを決め、四十九日の後からどうにかこうにか片付けを遂行。私も不用品の搬出やリサイクルショップへの運搬を手伝い、二束三文でも売り払っていきます。最終的に残った使い古しのテレビ、机、冷蔵庫や洗濯機を業者に処分してもらい、いとこは母親とより住みやすいアパートへと居を移したのでした。叔父が残したろくろなど陶芸道具の一部が、安い値段で業者に買い取られたそうです。
生前の叔父は、あれらのゴミの山から素材として売れるものをいつか見繕い、財産として手元に残すつもりだったのかもしれません。しかし整理整頓を後回しにする性格と、自営業で健康診断にめったに行かなかったことなどが重なり、処分と換金はなされぬまま終わりました。
僻地のプレハブ倉庫にあれだけのゴミがなかったなら、土地をきれいにしてレンタル倉庫として運用するなり、住宅にするなりの資産運用に繋げることもできたはずです。そうすればちゃんと残された二人が相続で収入を得られ、暮らしやすい生活が出来たかもしれないだけに、叔父にはもう少ししっかり考えておいて欲しかったものです。叔父の兄弟がプレハブ倉庫の話を知っていたから良かったものの、誰も知らないままだったらもっと困ったことになっていたはずです。
人間、誰しももうすぐ自分が死ぬなんて意識で生きてはいません。そこは仕方ないとしても、何かを残すつもりがあるなら、まずちゃんと『財産』と言える形にしておいて欲しいと強く思いました。時間が経つほど価値が出る骨董や美術品を、とまでは言わないまでも、特定の技術や知識がないと管理するにも手に余るようなものは良くありません。一番確実なのは、やはり現金です。
私自身は子供がおらず、相続が発生するならきょうだいか、その子供の甥や姪が対象になります。残してあげられる財が成せるかが疑問ですが、身の回りの物の処分は頼むことになりそうです。他人が見て処分に困るような品は残さず、自分が元気なうちにきっちり手はずを整えて、血縁者を困らせないような状態で相続をお願い出来るようにしたいと感じた経験です。

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